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ライディングクリニック。
RASだけの独自な考え方を、点数形式に転換し、現在ライダー自身がどの位バイクをコントロール出来ているか?
意識や見識が高いか?
等をゲーム的に構築し楽しく挑戦する事で、理解出来るシステム。
これが、RASの中で構築した最大&最強のカリキュラムですかね?
RASだけの独自な考え方を、点数形式に転換し、現在ライダー自身がどの位バイクをコントロール出来ているか?
意識や見識が高いか?
等をゲーム的に構築し楽しく挑戦する事で、理解出来るシステム。
これが、RASの中で構築した最大&最強のカリキュラムですかね?
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何と言っても、完全にZEROからのスタート。
タイトルと日程だけ決まっていて、それ以外は全く何も決まっていない。
必死に考え構築していったが、僕一人ではどうにもならなく、TheRidingSenseの仲間にも何度か手伝って貰った。
このプロジェクトがスタートした時は、どんな事をやるんだろう?
そして、誰がこれを組むんだろう?
まぁ校長かなぁ~~~?
そうだよなぁ~校長が組むんだよねぇ~!!!
と、思っていた。
しかし・・・青ベンさんの全スタッフに対する何度もの投げかけには、誰も反応しない。
僕もどうして良いのか要領を得ず・・・・・暫く手をこまねいていた。
そして、青ベンさんが痺れを切らして?
こんな感じどうだろう?
と、超ラフな組上げの提示でようやくやるべき事を認識。
けれど、結局それには校長も返信しない。
ならば、僕がやるしかないか?
と言う事で、行動開始。
まず、RASの総カリキュラムの中で、重要なファクターに分割。
たとえば、
・Fブレーキ
・Rブレーキ
・垂直
・フォーム
・ウェア
等など
それに対して、どうやって計測カリキュラムにするかを検討。
しかし、絶対にやってはならない計測・・・・それはタイムによる計測である。
タイムを競う形になると、本来ライダー自身が持っているレベルを発揮する事が出来ない。
リスクを最低限にしっかりレベルアップを目指すのに、やってはいけない事と考えています。
その基準は今回のクリニックでは邪魔になる物と思いました。
一通り組み上げた後、提案書として全スタッフにメールにて配布。
青ベンさんからは素早くレスポンス。
SGTからも・・・・レス。
校長は無反応。
こんなもんか?
青ベンさんからのアドバイスで、再度構築しなおす。
そして、再びメールで配布。
これの繰り返しを数度行う。
校長からは1度?2度だけ、「素晴らしい内容です」とお褒めのメールが入った。
さて、ここまでは頭の中での構築。
実際にどの程度のレベルで出来るのかは・・・・やってみないとわかりません。
それで、実際に検証してみる事に。
TheRidingSenseの皆に手伝ってくれる方を募り、日にちを決めて実施。
カリキュラムの一つ一つを実際に検証する。
何度も繰り返し、僕が出来る基準点を引っ張り出す。
そして、完成したのが『RAS ライディングクリニック』である。
バイク操作における基本がきっちり組み込まれた内容である。
そして、今度は開催の運営・・・マニュアル。
まずは、実施レイアウト。
そして、スタッフの配置。
などなど、実際にオペレーションをきっちり行っていかないと・・・・・
ボロボロになる。
身体測定でもサクサクやらないと疲れるのと一緒である。
そして、当日の朝早く現場に入って打ち合わせ&会場作り。
なんて、感じで実施しました。
その後数回の開催は都度改訂して実施。
なんとも疲労困憊のライディングクリニックでした。
でも、やっていて自分自身のノウハウに加わったし・・・それはそれでよいか?
それにこの「ライディングクリニック」はRASに帰属していても、完全に僕の『著作権』だし・・・(笑
と、判断した自分がそこにいました。
続く
タイトルと日程だけ決まっていて、それ以外は全く何も決まっていない。
必死に考え構築していったが、僕一人ではどうにもならなく、TheRidingSenseの仲間にも何度か手伝って貰った。
このプロジェクトがスタートした時は、どんな事をやるんだろう?
そして、誰がこれを組むんだろう?
まぁ校長かなぁ~~~?
そうだよなぁ~校長が組むんだよねぇ~!!!
と、思っていた。
しかし・・・青ベンさんの全スタッフに対する何度もの投げかけには、誰も反応しない。
僕もどうして良いのか要領を得ず・・・・・暫く手をこまねいていた。
そして、青ベンさんが痺れを切らして?
こんな感じどうだろう?
と、超ラフな組上げの提示でようやくやるべき事を認識。
けれど、結局それには校長も返信しない。
ならば、僕がやるしかないか?
と言う事で、行動開始。
まず、RASの総カリキュラムの中で、重要なファクターに分割。
たとえば、
・Fブレーキ
・Rブレーキ
・垂直
・フォーム
・ウェア
等など
それに対して、どうやって計測カリキュラムにするかを検討。
しかし、絶対にやってはならない計測・・・・それはタイムによる計測である。
タイムを競う形になると、本来ライダー自身が持っているレベルを発揮する事が出来ない。
リスクを最低限にしっかりレベルアップを目指すのに、やってはいけない事と考えています。
その基準は今回のクリニックでは邪魔になる物と思いました。
一通り組み上げた後、提案書として全スタッフにメールにて配布。
青ベンさんからは素早くレスポンス。
SGTからも・・・・レス。
校長は無反応。
こんなもんか?
青ベンさんからのアドバイスで、再度構築しなおす。
そして、再びメールで配布。
これの繰り返しを数度行う。
校長からは1度?2度だけ、「素晴らしい内容です」とお褒めのメールが入った。
さて、ここまでは頭の中での構築。
実際にどの程度のレベルで出来るのかは・・・・やってみないとわかりません。
それで、実際に検証してみる事に。
TheRidingSenseの皆に手伝ってくれる方を募り、日にちを決めて実施。
カリキュラムの一つ一つを実際に検証する。
何度も繰り返し、僕が出来る基準点を引っ張り出す。
そして、完成したのが『RAS ライディングクリニック』である。
バイク操作における基本がきっちり組み込まれた内容である。
そして、今度は開催の運営・・・マニュアル。
まずは、実施レイアウト。
そして、スタッフの配置。
などなど、実際にオペレーションをきっちり行っていかないと・・・・・
ボロボロになる。
身体測定でもサクサクやらないと疲れるのと一緒である。
そして、当日の朝早く現場に入って打ち合わせ&会場作り。
なんて、感じで実施しました。
その後数回の開催は都度改訂して実施。
なんとも疲労困憊のライディングクリニックでした。
でも、やっていて自分自身のノウハウに加わったし・・・それはそれでよいか?
それにこの「ライディングクリニック」はRASに帰属していても、完全に僕の『著作権』だし・・・(笑
と、判断した自分がそこにいました。
続く
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実際に現場に立ちながら、やりつつ、青ベンさんのアドバイスをもらい、校長のアドバイスを受け、少しずつ少しずつ前進していく。
それと、同時にRAS以外にも幅を具体的に拡大していく。
東京消防庁 応急手当普及員 資格 この資格を持っている人間が教える事で、普通救命員の資格が取れるというもの。
救命の情報を吸収。
又、当時BMW K1200S を購入しメインマシーンとしていたが、これだとバイクの基本構造が違い、見本とか・・・ブレーキの講釈とか・・・・うまく伝わらない・・・・・と、判断し・・・
ネイキッドの雄(勝手に思っています・・・笑)
KAWASAKI ZRX1100を、RASの講師をする為に追加購入をする。
まぁ負担にはなるが、K1200Sでは全く出来ない事もあり、苦渋?の決断である。
・・・・家内をどう誤魔化すか・・・・(笑
まぁそれで、しっかりとしたレッスン&見本でRASの為になるなら・・・・と、当時は思っていた。
少しずつ、講師としての実績が上がるにしたがい、同期や先輩諸氏のいる通常講義にも講師として携わる様になる。
それは、それでものすごいプレッシャー。
だって、ある意味僕と同じレベルの方もいるのですから・・・・僕が教える?
おこがましいよなぁ~~と、思っちゃう。
それでもその人がさらにレベルアップするのに必要だと思う事は投げかける・・・・
その方も真摯に聞いて・・・即実行・・・・(って出来ちゃうんだなこれが・・・・大汗
そんなこんなで、ますますレベルアップが必要な事を痛感する。
家内も教育者として公務員であり看護師の仕事をしていたから、『教育者』として、必要な事を常に話し合っていた。
お陰で僕の中で必要な教育者としての、ソフトの部分はしっかり成長出来たのかな?と、思っています。
まぁそれでも、浮足立った性格・・・軽い所など・・・・は、本来の性格として
結構逸話も作りだした。
受講生の時の伝説?は語るに暇がないかも・・・・
講師になった時に一番大きいのは・・・・・右鎖骨骨折ですかね。
具体的には書きませんが、まぁ、スケベ心が身を滅ぼす・・と言う事で・・・・(笑
そんな形でなら、お休みを頂けた・・・・
もちろん、僕は普段は普通にサラリーマン。
週に6日は本業があり、そちらも営みながらの話である。
RASは週に2日。。。。週8日は働いている・・・計算合わないじゃん・・・
土曜は午前中本業・・・・午後RASであった。
一か月の中で完全なるお休みは・・・・月に1度あればよい方。
ほとんどが・・・・ゼロか2か月に1日である。
最長4か月休みが全く無いと言う時も、、、年に2回位は存在したでしょう。
そして、地方遠征に行った時は・・・もヘロヘロですよね。
金曜日の仕事終了後、20時に東京出発。
(※遠征の時は、顰蹙を買いながら、休みを貰います、偶に”ずる”する事も・・・笑)
25時に彦根到着。
一泊、朝8時出発。
一日を終え、神戸に移動。
そして翌日関西講義。
終えて、17時に出発。
東京着、26時(2時)。
翌日朝6時に出勤。
そして、一日仕事。(まぁ仕事にならなかったですけどね・・・笑)
そんな感じで、常に全速力で走り続けていました。
続く
KAWASAKI ZRX1100を、RASの講師をする為に追加購入をする。
まぁ負担にはなるが、K1200Sでは全く出来ない事もあり、苦渋?の決断である。
・・・・家内をどう誤魔化すか・・・・(笑
まぁそれで、しっかりとしたレッスン&見本でRASの為になるなら・・・・と、当時は思っていた。
少しずつ、講師としての実績が上がるにしたがい、同期や先輩諸氏のいる通常講義にも講師として携わる様になる。
それは、それでものすごいプレッシャー。
だって、ある意味僕と同じレベルの方もいるのですから・・・・僕が教える?
おこがましいよなぁ~~と、思っちゃう。
それでもその人がさらにレベルアップするのに必要だと思う事は投げかける・・・・
その方も真摯に聞いて・・・即実行・・・・(って出来ちゃうんだなこれが・・・・大汗
そんなこんなで、ますますレベルアップが必要な事を痛感する。
家内も教育者として公務員であり看護師の仕事をしていたから、『教育者』として、必要な事を常に話し合っていた。
お陰で僕の中で必要な教育者としての、ソフトの部分はしっかり成長出来たのかな?と、思っています。
まぁそれでも、浮足立った性格・・・軽い所など・・・・は、本来の性格として
結構逸話も作りだした。
受講生の時の伝説?は語るに暇がないかも・・・・
講師になった時に一番大きいのは・・・・・右鎖骨骨折ですかね。
具体的には書きませんが、まぁ、スケベ心が身を滅ぼす・・と言う事で・・・・(笑
そんな形でなら、お休みを頂けた・・・・
もちろん、僕は普段は普通にサラリーマン。
週に6日は本業があり、そちらも営みながらの話である。
RASは週に2日。。。。週8日は働いている・・・計算合わないじゃん・・・
土曜は午前中本業・・・・午後RASであった。
一か月の中で完全なるお休みは・・・・月に1度あればよい方。
ほとんどが・・・・ゼロか2か月に1日である。
最長4か月休みが全く無いと言う時も、、、年に2回位は存在したでしょう。
そして、地方遠征に行った時は・・・もヘロヘロですよね。
金曜日の仕事終了後、20時に東京出発。
(※遠征の時は、顰蹙を買いながら、休みを貰います、偶に”ずる”する事も・・・笑)
25時に彦根到着。
一泊、朝8時出発。
一日を終え、神戸に移動。
そして翌日関西講義。
終えて、17時に出発。
東京着、26時(2時)。
翌日朝6時に出勤。
そして、一日仕事。(まぁ仕事にならなかったですけどね・・・笑)
そんな感じで、常に全速力で走り続けていました。
続く
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関係がどんどん密接になるにしたがい・・・様々な依頼がご意見番としての僕に入る様になる。
一つ紹介しよう。
RAS講師に求められる資質とは?
様々なライスクがあり、様々な教え方があるでしょうが、『校長イズムを受け継いでいる』事、でないと受講生が大混乱しますよね。
バスケや普通のスポーツならいざ知らず、バイクは直接命に関わる問題にも発展しますから、絶対に外せない項目だと思います。
云々
等、今後RASが発展拡大するのに、外せない観点を持ちつつ必要な事をアドバイスしていく。
それをしながらも、受講は回数を重ねる。
ある時、青ベンさんから相談を持ちかけられる。
RASの講師として手伝わないか?
と言う事である。
この辺りは・・・エキサイトブログにリアルに・・悩んでいる書き込みがありますから・・・(笑
その時はRSと言う問題点もありどうしようかと思っていたが、校長以下スタッフ全員僕がどんな活動をしているかは、明確にご存じでしたから、こちらからは特に触れませんでした。
そして、講師になる為の準備期間が入ります。
まずは卒業式?・・・・・
記念すべき第一回RASサーキット そこで正式に僕はRASを卒業し、講師へスイッチを切り替え始めました。
もちろん、昨日まで受講生でしたから、翌日にいきなり講師でぇ~~す。
と言うわけには行かない。
当り前の話です。
そんなの、既存の受講生に絶対に受け入れられる訳は無い。
逆の立場で考えれば普通にすぐわかることである。
ましてや、受講生より解っていない講師は存在すら許されないであろう・・・
青ベンさんの緻密な考えにより、講師とアシスタントと使い分けつつ携わる様になりました。
既存受講生の中に行く時は、アシスタント。
そして、新規の受講生(この時はRAS第3世代・・・・・阿波踊りが得意なム○セご夫妻の世代です)に対してだけ講師と言う形で始めました。
そして、僕に課せられた課題はものすごく多数。
と言っても誰からもこれが課題ですと提示された訳ではありません。
一番重要なこと、「校長と言っている事がずれたら駄目である」ここに尽きる。
そして、校長のやり方、言葉遣い、段取り・・・すべてを踏襲し自分のノウハウにする事。
最初の3ヶ月は遅刻もせずに、、、、どこまで自分を磨けるかの、毎回の真剣勝負。
とはいえ、最初は・・・・落ち込んでばかりいましたね。
なかなか、思うように行かず。
かといって、RASの中では講師を育てようと考えているのは、青ベンさんだけだし・・・
でも、泣き言は言っていられない、日々精進・・・・日々進化。
受講生の皆さんがどう受け止めているか?
伝わっているか?
今、何に悩んでいるのか?
なぜ出来ていないのか?
どうすればいいのか?
何をしたら、良くわかって、出来る様になるのか?
と、常に考えて、一人一人の受講生を見て考えていた。
当然ながら、一人一人・・感じ方受け止め方、習熟度、達成度、達成感、、様々な面で違う話し方伝え方をして行かないとならない。
もちろん、王道と言える伝え方も考えて行かないとならないですし。
半年は常に・・・一杯一杯のパンパンで走っていました。
続く
ある時、青ベンさんから相談を持ちかけられる。
RASの講師として手伝わないか?
と言う事である。
この辺りは・・・エキサイトブログにリアルに・・悩んでいる書き込みがありますから・・・(笑
その時はRSと言う問題点もありどうしようかと思っていたが、校長以下スタッフ全員僕がどんな活動をしているかは、明確にご存じでしたから、こちらからは特に触れませんでした。
そして、講師になる為の準備期間が入ります。
まずは卒業式?・・・・・
記念すべき第一回RASサーキット そこで正式に僕はRASを卒業し、講師へスイッチを切り替え始めました。
もちろん、昨日まで受講生でしたから、翌日にいきなり講師でぇ~~す。
と言うわけには行かない。
当り前の話です。
そんなの、既存の受講生に絶対に受け入れられる訳は無い。
逆の立場で考えれば普通にすぐわかることである。
ましてや、受講生より解っていない講師は存在すら許されないであろう・・・
青ベンさんの緻密な考えにより、講師とアシスタントと使い分けつつ携わる様になりました。
既存受講生の中に行く時は、アシスタント。
そして、新規の受講生(この時はRAS第3世代・・・・・阿波踊りが得意なム○セご夫妻の世代です)に対してだけ講師と言う形で始めました。
そして、僕に課せられた課題はものすごく多数。
と言っても誰からもこれが課題ですと提示された訳ではありません。
一番重要なこと、「校長と言っている事がずれたら駄目である」ここに尽きる。
そして、校長のやり方、言葉遣い、段取り・・・すべてを踏襲し自分のノウハウにする事。
最初の3ヶ月は遅刻もせずに、、、、どこまで自分を磨けるかの、毎回の真剣勝負。
とはいえ、最初は・・・・落ち込んでばかりいましたね。
なかなか、思うように行かず。
かといって、RASの中では講師を育てようと考えているのは、青ベンさんだけだし・・・
でも、泣き言は言っていられない、日々精進・・・・日々進化。
受講生の皆さんがどう受け止めているか?
伝わっているか?
今、何に悩んでいるのか?
なぜ出来ていないのか?
どうすればいいのか?
何をしたら、良くわかって、出来る様になるのか?
と、常に考えて、一人一人の受講生を見て考えていた。
当然ながら、一人一人・・感じ方受け止め方、習熟度、達成度、達成感、、様々な面で違う話し方伝え方をして行かないとならない。
もちろん、王道と言える伝え方も考えて行かないとならないですし。
半年は常に・・・一杯一杯のパンパンで走っていました。
続く
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時間は結構無理やり明けた。
受講料もかなり厳しい中で、受け続けた。
受講生の最終期にはキャンセルを申し出ない限り、すべての講義が自動予約にして貰った。
そして、入校し早々にそれ以外の盛り上げ活動も開始する。
ツーリングの企画・主宰
アニバツーのディナーイベントの企画・進行
我TheRidingSenseからの、RAS入校。
(関東・関西合わせて 15名位だろうか)
そして、黎明期のRASが抱える問題点の相談も青ベンさんから投げかけがあれば、今までの経験値としてプロデューサーの眼で見、考え、僕なりのアドバイスは常に入れていた。
講師の増員に対する考え方や、女性講師、アシスタントに対するアドバイスも様々な考え方や、外してはならない考え方も青ベンさん通じて、”無償”にてアドバイザー的立場を取り続けていた。
加えて、必要だと思えば、様々なカリキュラムの器具の開発。
ここで開発されたのが通称『BB!ホース(ドッピーカンでもウェットコンディション生成機)』の開発もすべて、自費にて行い”無償”貸与提供。
当然ながら、ツーリング時はペースメーカーの役割や、殿の役割をしつつ、全体の掌握とともに安全に楽しく全員が走れる様にコントロールするなど・・・ある意味当然とは言え、誰に言われるまでもなく、正式な依頼を受けるでもなく、RASが盛り上がる方向を模索しながら、考え行動してきた。
まぁ実際、”一受講生”と言う枠を完全に超えて、受講生の眼で見ながら、イベント企画屋の行動を持って盛り上げていたと言えばおわかり頂けるであろうか?
続く
受講料もかなり厳しい中で、受け続けた。
受講生の最終期にはキャンセルを申し出ない限り、すべての講義が自動予約にして貰った。
そして、入校し早々にそれ以外の盛り上げ活動も開始する。
ツーリングの企画・主宰
アニバツーのディナーイベントの企画・進行
我TheRidingSenseからの、RAS入校。
(関東・関西合わせて 15名位だろうか)
そして、黎明期のRASが抱える問題点の相談も青ベンさんから投げかけがあれば、今までの経験値としてプロデューサーの眼で見、考え、僕なりのアドバイスは常に入れていた。
講師の増員に対する考え方や、女性講師、アシスタントに対するアドバイスも様々な考え方や、外してはならない考え方も青ベンさん通じて、”無償”にてアドバイザー的立場を取り続けていた。
加えて、必要だと思えば、様々なカリキュラムの器具の開発。
ここで開発されたのが通称『BB!ホース(ドッピーカンでもウェットコンディション生成機)』の開発もすべて、自費にて行い”無償”貸与提供。
当然ながら、ツーリング時はペースメーカーの役割や、殿の役割をしつつ、全体の掌握とともに安全に楽しく全員が走れる様にコントロールするなど・・・ある意味当然とは言え、誰に言われるまでもなく、正式な依頼を受けるでもなく、RASが盛り上がる方向を模索しながら、考え行動してきた。
まぁ実際、”一受講生”と言う枠を完全に超えて、受講生の眼で見ながら、イベント企画屋の行動を持って盛り上げていたと言えばおわかり頂けるであろうか?
続く
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沢山のコメント、メールを頂戴i致しました事に感謝いたします。
ありがとうございました。
ご意見として参考にさせて頂こうと・・・・と、建前を書いてもしょうがないので・・・・・
つまり、僕の意志は変わりません。
なぜなのか?
それは、僕一人の問題ではなく、この先必ず同じ目に合うであろう人間を減らしたい。
そして、今まで僕と同じ目に合わされて来た人達への弁護でもあります。
あまりにも人を馬鹿にした話であり・・人の気持ちをこんなにも簡単に踏み躙る事が出来る人間を許すべきでは無いと言う判断をしている。
これはBBTと言われた僕のTheRidingArtSchool における5年間の総決算であり。
訣別の”儀”であり。
ありがとうございました。
ご意見として参考にさせて頂こうと・・・・と、建前を書いてもしょうがないので・・・・・
つまり、僕の意志は変わりません。
なぜなのか?
それは、僕一人の問題ではなく、この先必ず同じ目に合うであろう人間を減らしたい。
そして、今まで僕と同じ目に合わされて来た人達への弁護でもあります。
あまりにも人を馬鹿にした話であり・・人の気持ちをこんなにも簡単に踏み躙る事が出来る人間を許すべきでは無いと言う判断をしている。
これはBBTと言われた僕のTheRidingArtSchool における5年間の総決算であり。
訣別の”儀”であり。
とは言えすぐに核心に入っては・・・単なる誹謗中傷とも取られ兼ねないですから、もっと時間軸を持たせその周囲からの話をちゃんとせねばならないと思っています。
以前も書きましたが、僕が直接そこに存在し、僕の眼で見て、言葉を聞いた事実及び真実の事。
それと、人から聞いた話。
これは、あくまでも聞いた話であり、僕の中では事実ではありません。
ニュースソースは一切明かせませんが、そのニュースソースの方のフィルターが通っていることをご理解の上お読み下さい。
しかし、そのニュースソースの方にとっては”事実”であり、それに基づく行動をちゃんととっていらっしゃることを付け加えて置きます。
そして、それらの話を検証し推測した事。
こういうパートで組み上げていきます。
僕の眼の部分は、イベントプロデュースをした経験や、さまざまな経験を踏まえ考え書いて行きます。
そして、判断をするのはこれをお読みになった皆さんです。
まず、僕の事。
北海道出身。
1963年生まれ。
東京には22歳に出てきました。
バイク歴は、30年。
バイク免許を取得出来る歳になりすぐに取得。
生涯走行距離はざっと計算したら・・・800,000km位でしょうか?
スクール的な物は結構参加経験はあります。
公安委員会・HMS・SRTT・・・そして一番最初に受けたのが「トライカーナ」だろう。
あの人との出会いの場でもある。
そのあたりはエキサイトブログで書いていたので読んで頂けるとありがたい。
性格は・・血液型がO型の典型と思っていただければ・・・
単純?熱血?感性的?
加えて・・・動物占い・・・・ペガサス・・・・・「つかみどころのない?」
そんな感じであろうか?
さて、事故経験も多数あり、苦しい時もあった・・・・
まぁもちろんいまでもそんな部分は残っているが、決して見本となる様な優等生の走りをしてきたわけではない。
かといって暴走族とか・・・カミナリ族(古・・・)の様な他人の迷惑省みずということは一切ありえない。
まぁ世間一般の普通のライダーでどちらかといえば超タフな部類であったであろう。
そんな僕のバイクライフの転機は2回。
荻窪から調布へ転居し、マスツーリングを行う仲間が沢山出来た時。
そして、一番の大きな転機は、その仲間の”死”であろう。
そこから、大きな時計の歯車が動きだした。
今も変わりない僕のその時計の動き。
『少しでも死亡事故を減らしたい』
『少しでも事故を減らしたい』
『少しでも事故による損害を軽減したい』
この3つの願いである。
願いの強さに関しては、何処の誰にも負けない。と自分の中では思っている。(手前味噌ですが・・)
そんな思いを胸に時計の動くがごとく活動を開始した。
そして出会ったのが「TheRidingArtSchool」である。
そう、トライカーナで出会ったあの人が主宰しているスクールである。
主宰とはいえ・・・実際に設立運営をしていたのは青ベンさん率いる組織が完全にフルバックアップで稼働していた。
まぁその時はそんなこと知っている訳もなく・・・・・・ニヤケタおっさんがいるなぁ~と思ったのが青ベンさんである・・・・(笑
僕は受講生として、即刻入校し受講を開始した。
続く
以前も書きましたが、僕が直接そこに存在し、僕の眼で見て、言葉を聞いた事実及び真実の事。
それと、人から聞いた話。
これは、あくまでも聞いた話であり、僕の中では事実ではありません。
ニュースソースは一切明かせませんが、そのニュースソースの方のフィルターが通っていることをご理解の上お読み下さい。
しかし、そのニュースソースの方にとっては”事実”であり、それに基づく行動をちゃんととっていらっしゃることを付け加えて置きます。
そして、それらの話を検証し推測した事。
こういうパートで組み上げていきます。
僕の眼の部分は、イベントプロデュースをした経験や、さまざまな経験を踏まえ考え書いて行きます。
そして、判断をするのはこれをお読みになった皆さんです。
まず、僕の事。
北海道出身。
1963年生まれ。
東京には22歳に出てきました。
バイク歴は、30年。
バイク免許を取得出来る歳になりすぐに取得。
生涯走行距離はざっと計算したら・・・800,000km位でしょうか?
スクール的な物は結構参加経験はあります。
公安委員会・HMS・SRTT・・・そして一番最初に受けたのが「トライカーナ」だろう。
あの人との出会いの場でもある。
そのあたりはエキサイトブログで書いていたので読んで頂けるとありがたい。
性格は・・血液型がO型の典型と思っていただければ・・・
単純?熱血?感性的?
加えて・・・動物占い・・・・ペガサス・・・・・「つかみどころのない?」
そんな感じであろうか?
さて、事故経験も多数あり、苦しい時もあった・・・・
まぁもちろんいまでもそんな部分は残っているが、決して見本となる様な優等生の走りをしてきたわけではない。
かといって暴走族とか・・・カミナリ族(古・・・)の様な他人の迷惑省みずということは一切ありえない。
まぁ世間一般の普通のライダーでどちらかといえば超タフな部類であったであろう。
そんな僕のバイクライフの転機は2回。
荻窪から調布へ転居し、マスツーリングを行う仲間が沢山出来た時。
そして、一番の大きな転機は、その仲間の”死”であろう。
そこから、大きな時計の歯車が動きだした。
今も変わりない僕のその時計の動き。
『少しでも死亡事故を減らしたい』
『少しでも事故を減らしたい』
『少しでも事故による損害を軽減したい』
この3つの願いである。
願いの強さに関しては、何処の誰にも負けない。と自分の中では思っている。(手前味噌ですが・・)
そんな思いを胸に時計の動くがごとく活動を開始した。
そして出会ったのが「TheRidingArtSchool」である。
そう、トライカーナで出会ったあの人が主宰しているスクールである。
主宰とはいえ・・・実際に設立運営をしていたのは青ベンさん率いる組織が完全にフルバックアップで稼働していた。
まぁその時はそんなこと知っている訳もなく・・・・・・ニヤケタおっさんがいるなぁ~と思ったのが青ベンさんである・・・・(笑
僕は受講生として、即刻入校し受講を開始した。
続く
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